赤松 氏置(あかまつ うじおき)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・旗本。名門守護大名・赤松氏の庶流七条氏の後裔。上総国下湯江陣屋を領した。対外的には石野氏を称した。
生涯
幼少の頃は外祖父・有馬則頼に養育されていた。元服後しばらくはかつての赤松氏嫡流に倣って義利と名乗った。
文禄元年(1592年)7月、則頼の紹介により名護屋城在陣中の徳川家康と対面し、家康に召されて近習として仕え始めた。文禄4年(1595年)、上総国天羽郡・周淮郡内に2150石余を得た。関ヶ原の戦いでは斥候の役を務め、この功績によって伊豆国修善寺に1000石を賜った。慶長6年(1601年)、御使番となる。
慶長17年(1612年)、駿府において死去。享年39。跡を嫡男・氏照が相続した。二男・氏信は徳川頼房(水戸藩)に仕えた。
系譜
- 父:赤松氏満(1553-1606)
- 母:有馬則頼娘
- 正室:内藤家長娘
- 生母不明の子女
- 嫡男:石野氏照
- 次男:石野氏信
脚注
出典
- 『寛政重修諸家譜』巻第四百六十七
- 日本文学研究資料刊行会編『戦記文学 保元物語・平治物語・太平記』有精堂、1974年
- 関山和夫『庶民芸能と仏教』大蔵出版、2001年
- 加美宏『太平記享受史論考』桜楓社、1985年




