三条 基定(さんじょう もとさだ)は、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけての公卿。非参議従三位、修理大夫。父は正四位下左中将三条成定。母は法眼行仁の母。
修理大夫に抜擢される
大炊御門家の傍流であったため、前半生は目ぼしい官職に就くことができなかったが、晩年には左大臣九条良平の推挙により修理大夫に補任された。
経歴
以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
- 建仁3年(1203年)8月21日、侍従に任ぜられる。
- 建仁4年(1204年)1月5日、従五位上に昇叙。
- 承元元年(1207年)2月13日、阿波権介を兼ねる。同日、右少将に任ぜられる。
- 承元4年(1210年)1月5日、正五位下に昇叙。
- 建保元年(1213年)1月6日、従四位下に昇叙。
- 建保7年(1219年)1月5日、従四位上に昇叙。
- 承久3年(1221年)1月13日、正四位下に昇叙。
- 嘉禄2年(1226年)8月14日、皇后宮亮を兼ねる。
- 嘉禄3年(1227年)2月22日、皇后宮亮を止める。同年10月4日、修理大夫に任ぜられる。
- 寛喜元年(1229年)3月20日、従三位に叙される。修理大夫は元の如し。
- 寛喜3年(1231年)4月14日、修理大夫を止める。
- 嘉禎2年(1236年)9月26日、出家。法名真願。
- 嘉禎3年(1237年)11月1日、逝去。享年67。
系譜
- 父:三条成定
- 母:法眼行仁の娘
- 妻:不詳
- 男子:三条能定
- 男子:三条経成
- 女子:九条基家室 - 月輪良基の母
脚注
出典
- 『公卿補任』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編)
- 『尊卑分脈』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編)
- 遠藤珠紀、「鎌倉期朝廷社会における官司運営の変質:修理職・内蔵寮の検討を通して」、『史学雑誌』2005年114巻10号p. 1716-1736




