アルフォンソ4世・デステAlfonso IV d'Este, 1634年 - 1662年7月16日)は、モデナ=レッジョ公。

生涯

フランチェスコ1世・デステと最初の妃マリーア・カテリーナ・ファルネーゼの長子として生まれた。幼い頃より蒲柳の質で体が弱く、痛風と結核を患っていた。

1655年、マザラン枢機卿の姪ラウラ・マルティノッツィと結婚。3子をもうけた。

  • フランチェスコ(1657年 - 1658年)、夭折
  • マリーア・ベアトリーチェ(1658年 - 1718年)- 英語名メアリー・オブ・モデナ、イングランド王ジェームズ2世妃
  • フランチェスコ2世(1660年 - 1694年)

1658年、公位を継承。翌1659年、フランス・スペイン戦争でフランス側についてコッレッジョを獲得した。

1662年、急死。2歳の息子フランチェスコが、ラウラの摂政のもとで即位した。


フランチェスコ1世・デステ

アルス・アルマル アルスフォン・デストロイ MyMT844のイラスト pixiv

17 アルフォンソ6世によるトレド征服【レコンキスタ】【世界史】 YouTube

アルフォンソ13世 その11 ~亡命生活の始まり~ スペイン王室

アルフォンソ3世 歴史 wps+(ワールド・フォト・サービス)